五時四十分起床。休日。まだ体調がよくない。副鼻腔炎のような鼻汁、かるい喘息のような息苦しさ。うーむ。
築地正明「言葉の音律に耳を澄ます 古井由吉と翻訳」(「群像」2021年9月号掲載)。翻訳という視点からの古井由吉論。ドイツ文学者出身の古井さんの創作の根底には常に「翻訳」という意識があり、そこには訳そうとしても訳しきれない「音律」「音韻」という問題が含まれている。もちろん古井さんの小説やエッセイは翻訳作品ではないが、こうした意識が現役の翻訳者以上にあるがゆえに、現代日本語文学の最高峰とまで言われるようになった、というのが著者の主張。納得できる部分がある。ただ、古井さんの作品の表層から音韻を直接感じることはない。一語ずつが韻を踏んで鳴り響く詩歌のような音楽性ではなく、選んだ言葉全体がひとつの通底音となって作品全体を支えていく、そんな感覚に近い気がする。古井さんの選ぶ言葉には、揺らぎがない。明確に像を結ぶが、一方で観念的な部分も感じさせる。この、観念的な部分が音楽性に通じるのだとすれば……。
大澤真幸「〈世界史〉の哲学 現代篇(10) ヨーロッパ公法の意図せざる効用」。ナチスが人種としての純血を守るために制定した(のちにホロコーストへとつながっていく)ニュルンベルク法を考案する際に参考にしたのが、当時のアメリカの遵守関連の法律だったというのにはショックを受けつつ、ある部分で納得もできた。アメリカはどの国よりも平等を重んじる思想があるにもかかわらず、いまだに人種差別という問題も抱えつづけている。つまり、現在のアメリカは平等と不平等の両方によって成り立っていると考えることもできるのだ。この、アメリカの負の部分にナチスが目を付けていた。時代的には当然の流れなのかもしれない。悲しいが。