わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

昭和の頃の話だ

 五時四十分起床。暑さもピークを過ぎて徐々に弱まりつつあるような気がするものの、その様子はゆっくりで、むしろそのゆっくりさがセミのけたたましい鳴き声などのおかげか、暑さがしぶとく留まりつづけているように思えてしまう。去年だったか、一度、軽度の熱中症になった。大事には至らず。暑さには強いほうだと思っていたので過信したのかもしれないが、思い返すに、高校一年生の時も一度ハードな練習で倒れたことを思い出した。昭和の頃の話だ。

 午前中は掃除。午後は読書など。夕方、妻と買い出し兼ウォーキング。

 夕食をとりながら、ダウンタウンの昭和特番。また昭和の頃の話だ。昭和四十四年生まれの僕でも知らないことがかなり多い。妻は知らんがぼくは知っている、といった性差的なこともあるようだ。

 夜、ランニングへ。蒸し暑い中、10.7km。人が少ない。善福寺池の周辺は夜中もセミが鳴いている。弱って路上に落ちていたセミを蹴飛ばしてしまった。ゴメンよ、セミ

 

 稲垣諭「「くぐり抜け」の哲学(12) 共感できないものに近づく」(「群像」2023年9月号掲載)。くらげから始まったこの連載、最後は性差、性加害/被害の問題へ。性差を受け入れ、多様性を受け入れることの、当たり前さと難しさと。次回、最終回。

 永井玲衣「世界の適切な保存(17) 余計な心配」(同誌掲載)。電車の中に迷い込んだハエが別の駅で外へ出ていったことに対する余計な不安から始まっている。相手に寄り添う姿勢の過剰さ。そこにわびさびのようなものが感じられなくもない。永井さん、最近メディアへの露出が増えてるなあ。

 鷲田清一「所有について(25) 〈場所〉と〈死〉と」(同誌掲載)。人類が定住を行うようになってから所有の概念が生まれた、というか、確立された、という考え方は納得。