わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

カウントダウン

 五時四十五分起床。平成最後の日、という言葉を聞くのも今日がピーク、今後はあっという間に消えるのだろう。ただし今日一日で、令和最初の、という言葉が急に増殖している。めでたさというよりも、時節で遊ぶという感覚に近いか。

 今日も終日仕事。

 

 読書は片岡義男「窓の外を見てください」(「群像」2019年5月号掲載)を読みはじめた。ストリップ劇場の裏手で出会った女性と、妹から譲り受けたばかりの、そもそもは父の遺品だった外国車に乗って主人公は移動を始める。

 

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

 

 

 

珈琲が呼ぶ

珈琲が呼ぶ

 
豆大福と珈琲 (朝日文庫)

豆大福と珈琲 (朝日文庫)

 

 

きれいよりも

 五時四十五分起床。昭和の日。来年以降も昭和の日は存続するのだろうか。

 仕事。某案件の企画。十六時頃に一区切り付いたので手を止め、一時間ほどウォーキングする。ハナミズキ、ノースポール。そして路側帯などのツツジクイーンズ伊勢丹の横の道路のツツジは白い花ばかり。この季節はツツジならではとしかいいようのない、濃い光を、いや、強い「色」を発しているような花が群生しているのを見ると、底知れない生命力のようなものを感じる。ここ数年、花を見ると「きれい」よりも「強い」「たくましい」と感じるようになった。か細く咲いていても、その咲くというメカニズムが、強く、たくましい。雑草では、ヒメジョオンだかハルジオンだか、あの花があちこちで。ヒナゲシも路肩に生えていれば雑草なのかな。

 夜、妻が仙台から帰宅。おみやげをわんさかといただいたようだ。ありがとうございます。

 

 読書は保坂和志「鉄の胡蝶は記憶に夢を歳月は彫るか(10)」、絲山秋子「御社のチャラ男(13)」(ともに「群像」2019年5月号掲載)。「鉄の胡蝶は」は過去の記憶を軸にした迷走。子どもの記憶と子どもの視点。「チャラ男」は改元について触れられていたが、それよりも、育児環境という視点から見た現代が軽い文体なのにズシリと重く書かれている。「チャラ男」は、少しずつ社会小説になりつつあるような。

 

 

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

 

 

 

ハレルヤ

ハレルヤ

 

 

 

夢も見ずに眠った。

夢も見ずに眠った。

 

 

カイゲン、ヅケ、フカン

 六時起床。

 平成最後の日曜日。この「平成最後の」というカンムリ言葉にもいい加減飽きはじめているが、改元し数カ月もすれば肯定的に、そしてある種のノスタルジックな感情をもって振り返るようになるのか、それとも冷静になり、翻って、というつなぎ方が正しいかわからないが、翻って、元号不要論なんてものにかぶれはじめてしまうのか。令和と書かれたスナックやTシャツ、手ぬぐいなんてものを見ていると、なぜ改元がここまで世間一般に肯定的に受け入れられているのか、そして改元で一儲けしようとする輩がわらわらと登場するのか、その理由が知りたくなる。ま、たぶんこの欲求はそのまま放置しちゃうのだろうけれど。

 仕事。某広報誌の企画。妻からLINEが入っていたが、仙台のイベントはかなり盛況らしく、連日オーナーさんにご馳走になっているそうだ。

 夕食はカツオの刺身を食べた。少し残ってしまったので、ヅケにしておいた。

 

 三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』を久々に。言語は意思疎通のためにあるのではなく、自己を俯瞰するためにある、という考え方。チョムスキーに由来しているみたい。子どものころから「どうして心のなかで自分は独り言をいいつづけちゃうんだろう」と思ったり、「思い出が自分の見た景色じゃなくて自分もいる景色になってしまっているのはなぜだろう」と思いつづけていたけれど、その答がここにあるのかもしれない。本来、人間とは孤独な存在なのだ。さみしいということではない。一人の自分という存在を、主体的にだけでなく、客体的にも見られるということ。むしろ、外からの視点を仮想的につくりだす力がある、ということ。それが、他の動物と人間の決定的な違いなのだ、ということ。ふーむ。

 

孤独の発明 または言語の政治学

孤独の発明 または言語の政治学

 

 

天然知能

 五時三十分起床。妻は仙台のショップでイベントがあるため、早朝から外出。三日間の出張となる。

 連休初日。掃除やらなんやらを済ませてからは、のんびり過ごした。

 夕食は豚汁をつくって食べた。大量につくったので、しばらくこれでしのぐ。

 夜はランニングへ。冬のような北風が吹く中、ハナミズキに見惚れながら14km。

 

 保坂和志×郡司ペギオ幸夫 特別対談「芸術を憧れる哲学」(「群像」2019年5月号掲載)。郡司ペギオ幸夫の話題の書籍『天然知能』に触発されて保坂が対談を申し入れたらしい。人工知能=情報の集積、自然知能=科学の集積、による思考と判断、とすれば、天然知能は本能的なもの、あるいは中沢新一風に言えば「レンマ的」な知性に違いのかもしれない。『天然知能』、読みたくなった。

 

天然知能 (講談社選書メチエ)

天然知能 (講談社選書メチエ)

 
群像 2019年 05 月号 [雑誌]

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

 
ハレルヤ

ハレルヤ

 

 

 

激しく動く絵

 五時四十分起床。夜中に一雨降ったようで路面が濡れていた。もう止んでいるか、と思いつつゴミを出しに外へ出ると、まだ微かに、最後の一絞り、といった感じの雨がぱらついていた。

 仕事。某案件のコピーを迷いながら書く。相変わらず、正解が何なのかがわからない。

 午後からは別の案件。こちらは何もかもが明確なので迷うことはない。

 夕方は少し余裕が出てきたので(とはいえ、来週も三日ないし四日は働く予定なのだが)手を止め、発売されたばかりの「機動戦士ガンダムサンダーボルト」の13巻を読んだ。作者が腱鞘炎を悪化させてしまい緻密なタッチで描くことが不可能になったそうで、荒々しい画風に途中から変更になっていた。だが、これはこれでいい。すごく臨場感がある。絵が、激しく動いている。

 

 夜にはまた降り出すと予報にあるので、今夜は走らず、早く寝るつもり。妻は明日から仙台に出張。しばらく動物たちと留守番だ。

 

 

 

 

 

 読書は多和田葉子「星に仄めかされて(5)」(「群像」2019年5月号掲載)。バイクのヒッチハイク脳死と臓器移植。死の定義。 

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

 
地球にちりばめられて

地球にちりばめられて

 

 

 

 

 

 

朝ひげ/初めての雨

 五時四十分起床。以前は入浴時に両刃式のT字カミソリでヒゲを沿っていたが、最近は朝、洗顔といっしょに剃るようにしている。肌荒れするのではないかと心配だったが、湯でしっかり顔を洗ってから、丁寧に泡立てた石鹸と、シックの「クアトロ4」というカートリッジ式・4枚刃のT字カミソリを使うようにしたら、まったく問題なかったので続けている。T字式はランニングコストが優れているが、扱いが難しい。気をつけていても、顔を切ってしまう。カートリッジ式ならその心配はほとんどない。以前はフェザーのものを使っていたが、その前に使っていたシックが自分には合っているようだ。ただ、少しだけ他のメーカーなども試してみたい気持ちがある。大昔にジレットの3枚刃を試したことがあったが、逆剃りがしにくかった記憶がある。シックにはハイドロというのもあるが、これはヘッドが大きく過ぎて取り回ししにくかったり、ネバネバする液が大量に出てきたりして、とても扱いにくかった。クアトロには5枚刃の「クアトロ5」というのもあるのだが、これはネーミングが崩壊しているなあ、と思った。でも、ちょっと気になっている。いろいろ使ってみるのが楽しいのかもしれない。

 

シック Schick クアトロ4 4枚刃 チタニウム ブラックホルダー (替刃2コ付)

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シック Schick クアトロ5 5枚刃 チタニウム ホルダー (替刃2コ付)

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ジレット プログライド フレックスボール パワ-髭剃り 本体+替刃4個付

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 仕事。午前中は銀行回り。雨に辟易する。霧雨のようなのだが妙に密度があり、おまけに風のせいで横へ横へと降ってくる。雨音はいっさいしないというのに、篠突く雨のなかを歩いているような、重い濡れ方をする。こんな雨、はじめてだ。

 午後は書斎にこもって作業。

 

 夜は雨がやんだので軽く走った。エアロバイクをやめて一週間くらいになるが、尻の調子はどうだろう。今のところ、改善の実感はない。

 

 読書は「週刊モーニング」だけ。

CITY(7) (モーニング KC)

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