今朝も五時四十分起床。目覚めた瞬間が、暗い。これほど夜が長くなっているのかと改めて感じ、同時に朝の冷え込みも徐々に厳しくなるつあることにも気付いた。外に目を向ければ、桜の葉が赤く染まって散り、銀杏の葉も黄色く染まって散り、と紅葉黄葉のオンパレードだ。寒さを感じないほうがおかしい。
日曜だが、仕事。朝から年末調整の取りまとめ作業。大会社ほど大変ではないが、それでも毎年、この季節は慣れぬ計算と慣れぬ数字に振り回されることになる。売上や諸経費は慣れているが、保険の払い込み料というのは毎年毎年のこととはいえ、どうしても慣れない。ま、作業しはじめればどうということはないのだが。しかし、作業前は「おれはこの書類を毎年どのようにさばいていただろうか」「それ以前に、これはどのようにまとめればいいんだろう」と、疑問だらけになってしまう。手を動かしはじめれば意外に記入欄は埋められるものなのだが、それでも最初は、恒例で迷う。
パンで昼食。
午後は某案件の資料の読み込み。最近は資料を読んでばかりだ。
十五時、妻とウォーキングついでに買い出しへ。十六時、戻って作業再開。
十八時、葵の猫砂が切れかけていたので、慌てて買いに行く。
二十時、夕食。キムチ鍋にした。食べながら「THE MANZAI」。ナイツのネタはおもしろかったなあ。
昨日受け取ってきたメガネ、外を歩くと今まで以上にぼやけてしまう。ただし、手元から2メートル先くらいまではバツグンに見やすい。これ、室内専用だな。外を歩く時はやや度を強めにしているものを使おう。
眠気は消えず
今朝も五時四十分起床。曇りという天気のせいもあるのだろうが、夏の間はそれなりに明るさを感じていた時間帯だというのに、今はまだなお真っ暗なままだ。暗い朝は眠気をひきずりがちだ。知らず知らずのうちに目が半分ほど閉じ、掛け布団をはいで上半身を起こしていても、気付けば背が丸まり、アタマはカクンとうなだれた状態になっている。もっとも、ほんの十数秒のことだ。あらま、こりゃいかん、と気合いを入れ直すまでに一分とかかっていないようだが、その一分程度では、眠気は消えず、むしろくすぶる。
仕事。メールチェックなど済ませてから、銀行へ。外注費の支払いやら納税やら。戻ってからは某家電メーカーの件。昼食後は某飲料メーカーの件。目まぐるしいようだが、実はそれなりにコシを据えて取り掛かるだけの時間は十分にある。考えたことをこねくり回し、没にしたり、やっぱり使おうと掘り起こしたり、とあれこれ優柔不断に思考を巡らしている。
夕方、郵便物の投函と図書館への本の返却を兼ねてウォーキング。
夕食を食べながら、録画しておいた「バカせまい史」の小さいおじさん史を見た。ぼくも、釈由美子だけは本当に見ているのだと思った。
工藤庸子「文学ノート・大江健三郎I 敗戦と小説について 大岡昇平×大江健三郎(4)」(「群像」2022年12月号掲載)。『レイテ戦記』論。読めば読むほど、太平洋戦争のひどさ、虚しさ、そして軍本部の思考の馬鹿馬鹿しさに呆れてしまう。