わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

スコーン

 五時四十分起床。昨夜は目覚ましをセットせずに寝ていたことに気づいたが、自然に目覚めることができた。といっても、暑くて目が覚めただけだが。朝風呂で汗を流す。

 首が痛い。そして昨日のランニングの影響だろう、足がパンパンでやたらと重い。たいした距離は走っていないのに、気温と湿度と気圧と、そんなもののせいなのだろう、ダメージは予想以上にあったようだ。

 仕事。某案件の構成案を黙々と。資料の内容はすべて頭に入っているはずなのに、時折スコーンと抜けた場所があることに気づき、慌てて資料を読み返すのだが、それはスコーンと抜けていたわけではなく思い出そうとせぬままスコーンと抜けていたと早合点しているだけということに何度も何度も気づき、これはひょっとするとスコーンと抜けているという状況よりもさらに厄介なことなのではないか、と一瞬は思うものの、そんな考えにはとらわれることなく、ただひたすらに手を動かし、頭を動かした。

 

 読書は保坂和志「鉄の胡蝶は(以下略)」(「群像」2019年7月号掲載)。作者の姿の写真が読み手に与える影響…?

 

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

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ハレルヤ

ハレルヤ

 
猫の散歩道 (中公文庫)

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季節の記憶 (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

 

 

蒸し風呂の(ような)中を

 五時四十分起床。東京の今年の梅雨はダラダラと緩慢かつ気まぐれな降り方が多く、子どものころに散々経験したじっとりジメシメした空が延々とつづく典型的な梅雨のイメージと重なる部分が大きいのだが、西日本、九州はまったく違った、豪雨続きという、いかにも二十一世紀らしい、心の痛い降り方。夏がくるたびに、災害が起こる。一方で季節に関係なく、地震も起こる。この国は自然災害と常に背中合わせなのだから、と考えたところで、つづけるべき言葉が「常に気をつけなきゃ」「対策しておかなきゃ」なのか「これが普通だと思った方がいい」なのか「こんなもんだとわりきれ」なのか、よくわからない。どの言葉も現在を言い得ているような気がするが、同時に、まったく相応しくないような気もする。

 終日、デスクに張り付いて仕事。

 夜はランニングへ。雨は止んでいるが気温は高く、蒸し風呂の中を走っている気分。

 

 湯船につかりながら、dマガジンで久々に「RUNNING style」でも読もうか、最新号はとっくに出ているはずだ、と思ったら、残念ながら三月末で休刊になっていた。実はランニング人口は減りはじめているらしいし、消費者の紙媒体離れというのもあるだろう。本当に残念だ。

 

 

いらつく雨

 五時四十分起床。降ったりやんだりが繰り返される中、午前中は銀行回り、午後は打ち合わせ、とせわしなく、腰を落ち着ける時間もろくに取れぬまま飛び回っていたが、出かけるたびに雨に降られ、戻ったり、電車に乗ったりするや否や、雨は止んでしまう。その雨をかすかに浴びるたびに、小さな水滴のついた服にいらつき、雨滴を受けためがねのレンズにもいらつくのだが、一方で天気は不可抗力、もし神という存在があるなら神のみぞ知る不確定であいまいな未来を科学的に知ろうとするその行為である、とわかっているがゆえなのか、そのイラツキは、たちまち消える。雨よりもむしろ、久々に乗った帰宅ラッシュ時間の総武線の混みっぷりにイライラした。

 

 保坂和志「鉄の胡蝶は(以下略)」(「群像」2018年7月号発行)。混沌とした作品の魅力について。

 

 

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

 

 

ネズミを引きずる

 五時四十五分起床。ここ数日、というよりも梅雨入りしてから断続的に、なのだが、ぼんやりと頭痛がつづいている。おそらく低気圧が原因なのだろうが、カイロプラクティック的な歪みやらなんやらも関係しているのかもしれない。

 仕事。某案件のコピーをせっせと書いていると、葵が三十センチほどの木の棒に紐、その先に小さなネズミ型のぬいぐるみが付いたおもちゃ(妻がつくった)をずるずると引きずりながら書斎までやって来た。いやいや、今は遊びませんよ。

 

 

 パンで昼食後、別の案件に取り掛かる。

 夕方は走ろうかと思っていたが、天気が不安定なので中止。競技ランナーではないので、天候での無理はしないことにしている。

 夕食を食べながら「いだてん」第二部を観た。うわ、ハイテンション。おなじ作品だというのに、ここまで雰囲気変えちゃうか。おもしろいなあ。

 

いだてん 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

いだてん 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

 

 

 読書は多和田葉子「星に仄めかされて(7)」(「群像」2019年7月号掲載)。一方的に送りつけられてくる論文のテーマがおもしろすぎる。言葉遊びの向こう側にあるこの世の仕組み、法則、原理のようなもの、さらに言ってしまえば神のような存在、が、時折見え隠れする。

 

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

 

 

 

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて

 
飛魂 (講談社文芸文庫)

飛魂 (講談社文芸文庫)

 

 

アーロンチェア、ゲルカヤノ、タピオカ

 六時起床。一日中、小雨がぱらついたりやんだりが繰り返される、いかにも梅雨らしい空模様だが、こんな感覚をこの季節に味わうのは、強い雨が降っては晴れが続くような激しい梅雨ばかりだったように思えるここ数年の中では、逆に特異な傾向なのかもしれない。天気は一日、数時間単位で変わるものだが、気候は数十年、数百年、あるいはそれ以上の単位で変わる、とどこかで読んだか見たかしたのを思い出した。

 仕事用、というか、ほぼ終日座っている愛用のアーロンチェアが使用歴二十年を突破して、いよいよアカンようになってきた。座面の見えない部分にあったクッション材が加水分解してボロボロになったのが、もう十年くらい前のことだったか。背もたれのメッシュはこすれて毛羽立っており、弾力も失って、いつ穴が空いてもおかしくない状態。座面もしかりだ。ハリのあったメッシュが、低反発枕みたいになっている。そして背もたれの裏側にあるランバーサポートという腰を支える部分はひび割れてしまっている。こりゃもうそろそろ買い換えかな、それとも修理に出そうか、と公式サイトを覗いてみたら、オーバーホールと修理のサービスはあるものの30,000円からで、このサービスを利用した人のブログを見つけたのだが、ぼくと同じような状況ですべて交換・修理したとして10万円以上かかるという見積だったと書いていた。うーむ。じゃあ買うべきか、でもダメなのはメッシュ素材とランバーだけでほかは問題なさそうなのになあ、と悩んでいたら、公式サイトで分割金利0%のキャンペーンをやっていたので、これを利用しない手はないな、と早速申し込んだ。最新モデルはフル装備バージョンの場合20万円以上するが、これを最大30回の分割で買える。金利を気にしなくていいのだから、と30回で申し込んだ。

store.hermanmiller.co.jp

 午後は妻と吉祥寺へ。そろそろ寿命が来るランニングシューズを新調した。ニューモデルが登場して安くなっていたアシックスのゲルカヤノ25。店員さんに確認したら、最新のゲルカヤノ26は旧モデルとほとんど違いがないらしい。

 

  ほか、生活用品などあれこれ買って帰宅。西荻の「吉祥天」という角煮饅頭などを売っている中華スタンドみたいなお店で、タピオカミルクティーを買ってみた。中国紅茶を使っていて紅茶はおいしかったのだが、タピオカ、いらねえな。紅茶の風味が悪くなる気がするし、たいしてうまくない。もう二度と食べないと思う。

 夜は走ろうかと思っていたが、まだ小雨がぱらついていたので断念。

 

 読書は大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇」(「群像」2019年7月号掲載)。絵画の写実主義プラトンイデアの関係。

 

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

 

 

 

 

 

重い一日

 五時四十分起床。肩こり、首の痛み。忙しかったわけではなく、むしろ時間に余裕があるから、こうした身体の不調に気づきやすくなっているのだろう。梅雨、低気圧の影響もあるはずだ。

 朝から汗が重い。

 仕事。某社から依頼を受けたあるコンペ案件、別の代理店からも依頼が来て、断ることになった。初めての経験だ。

 夕方、今夜は走ろうかとぼんやり考えていたところ、ゴロゴロと遠雷が轟き、西の空が光り、雨もぱらつき始めたので断念。仕方ない。

 夕食はピザと唐揚げ。さすがに重く、少し体重が増えた。

 

 瀬戸内寂聴「井戸」(「新潮」2019年7月号掲載)。幼年期の悲しい、そしてトラウマになりかねないような、思い出。100歳までカウントダウン状態だというのに、わずか数ページずつではあるが、「群像」と「新潮」の両方に連載を持っているなんて、すごいなあ。

 

新潮 2019年 07月号

新潮 2019年 07月号

 

 

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

群像 2019年 07 月号 [雑誌]

 

 

どちらかというとパラディウム

 五時四十分起床。目覚めた直後には感じなかった湿気と暑さが徐々に強まり、息苦しさを体の重さが思考を微妙に邪魔するのだが、仕事がさほど立て込んでいないのは幸いだ。時間は空き気味なので、少し作業し一区切りつけては休み、溜め込んでいたビジネス関連の本をパラパラめくってみる、という贅沢な時間の使い方をしている。

 午後、妻と散歩へ。昨日のTBSラジオ伊集院光とらじおと」で紹介されていたコンバース風(というかどちらかというとパラディウムに似ているのだが)の長靴を見に行ったのだが、残念ながら在庫がなかった。小雨がぱらついてきたので、慌てて帰った。

 夕食はきのこと豚肉のカレー。

 

 黒川創「覚えていること」(「新潮」2019年7が都合掲載)読了。断片的な記憶、そして歴史の至るところに潜む「死」の影。だがそれは常に「生」と隣り合わせであり、むしろ「生」との向き合い方次第で、「死」のあり方も、価値も、変わってくるのではないか。死とは、虚無に帰すことではない。そんなあたりまえなことを、今さならがら、そして静かに考えた。

 

新潮 2019年 07月号

新潮 2019年 07月号