わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

あの警報音を聞くと、しばらく心がおかしくなる。人も、猫も。

 五時四十分起床。雨音。個人的にはすっかり油断して予想していなかった空模様に軽く驚きつつ、身支度。篠突く、という表現ほどではないがそれなりの雨量で、マンションのゴミ集積所までエントランスからはわずか数メートルだが、傘が必要だった。意外にも、雨のなかを歩く人がちらほらと見える。

 仕事。雨は午前中のうちに止んだようだ。

 夕方、ウォーキングへ。みな地元で過ごすことにも飽きて家から出なくなっているのか、あるいは連休中は休みと決めた店が多く、シャッターが閉まり灯りの消えた店を見て、こりゃだめだ、と早々に帰宅したのか、商店街の人影は、まばらというと語弊があるが、小池都知事に怒られなさそうな程度の人出だった。テイクアウトをしている飲食店の数も少ない。

 夜、入浴するぞ、とシャワーを浴び始めた途端に地震警報。幸い、大きな被害はなかったようだしそもそも地震もさほどのパワーではなかったようだ。あの警報音を聞くとしばらく動悸が止まらなくなるが、それは猫もおなじようで、葵の挙動が少しおかしくなった。しばらく落ち着かなかったようだ。

 

 読書は工藤庸子「大江健三郎と「晩年の仕事」」(「群像」2020年5月号掲載)のつづき。日本文学と世界文学との関係性。大江は世界文学を読み込み、地域の伝承や自身の境遇、半生、生活、思想といったものを、世界文学の枠組みのなかで物語として構築していった、と言えるのかもしれない。高橋源一郎が、世界文学史を把握できるだけの文学的知識・教養をもった小説家は現代においてはほとんど存在しない、仮に読んでいてもその流れを体系的に捉えることはできていない、といった主旨のことを言っていたけれど、大江さんはそれができている人、と言えるのかな。