わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

哲学

「徹底討論 21世紀の暫定名著 一般書篇」

「群像」2016年1月号掲載。一般書篇は現代思想、哲学、社会学、心理学、それから自然科学なんかも含めている。ま、文学以外ってことなんでしょうね、文芸誌だから。 まだ少ししか読んでいないのだが、柄谷行人の影響力の大きさを再認識。去年話題になったピ…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(2)

「群像」2015年12月号掲載。 自然美と芸術美の本質的な違いについて。前者は自然発生的で偶発的で普遍的(主観的普遍性)な美でその価値を誰もが暗黙のうちに共有でき、それゆえにストレートに「善きもの」と受け取りやすいという性質があるが、後者は作意と…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」(1)

「群像」2015年11月号掲載。カントの『判断力批判』をつうじて「美」の本質を解き明かす試み、って言っていいのかな。「美は目的の表象を欠いた合目的性である」という主張。美を感じる主体にとって美しいと思う対象は当然ながら客体なわけだけれど、その客…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」

「群像」2015年11月号から始まった熊野純彦の新連載の第一回目。まだちょっとしか読めてないからよくわかんないや。カントの三大批判のラストを飾った『判断力批判』の考察がメインになるみたい。大学生の時に『純粋理性批判』と『実践理性批判』は読んだけ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇22 遠い祖国と短い時間」

「群像」2015年10月号掲載。西洋における「王の二つの身体」に至るプロセスの一部として、著者は「祖国patria」という概念を引っ張り出す。ぼくらの感覚では、祖国とは自分の生まれ育ったこの国のことを指すわけだが、キリスト教文化においては、祖国とは神…

戸田山和久『哲学入門』

次章は「表象」。ここまで考察してきた意味、機能、そして情報というテーマが、実はこの「実体以外のものを思い浮かべる/象徴化する」ということに集約されていく。 記号や心的表象が自分以外の何ものかを指し示すことを「志向性」と呼ぶ。そして記号には絶…

戸田山和久『哲学入門』

第三章「情報」。数学的なモノの考え方から、情報伝達の仕組み、つまり発信側から着信側への意味の伝達の仕組みを把握することで、哲学的な世界認識へとつなげていこうという試み、って理解していいのかな? 情報は言葉だけでは構成されない、という点。それ…

戸田山和久『哲学入門』

第3章「情報」。コミュニケーション/通信という視点から、情報とは何かを探っている。その考え方/手法がユニーク。情報理論を、情報の持つ意味(伝達すべき内容ってことだね)をバッサリと切り捨ててその量のみに着目し、数学として数式化したうえで論じる…

戸田山和久『哲学入門』

第2章「機能」。意味、目的、そして機能は、実は似ているという考え方からスタート。なるほど、確かに缶切りという言葉の意味は「カンヅメを開けるための道具」だそ、缶切りの目的は「カンヅメを開けること」、そしてカンヅメの機能も「カンヅメを開けるこ…

戸田山和久『哲学入門』

第1章「意味」読了。「意味する」ということを普通の因果関係によって説明する(=自然化する)ための手法として、著者はルース・ミリカン(この人知らない)の「目的論的意味論」を紹介する。モノや概念が持つ「本来の機能」を自然化(因果関係による説明)…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇21 世俗の神秘体」

「群像」2015年9月号掲載。王の身体の二重性についての考察はまだまだつづく。神/キリストが規定した(と考えられる)自然法(=理性)があり、それを正義として規定する存在として王が存在し、王が規定した正義の実体として法が存在するというヒエラルキー…

戸田山和久『哲学入門』

第1章「意味」を読み進めている。人工知能は意味を理解していない、ということをスタート地点に、どんどん深堀りされていく。そもそも意味というものは解釈されて初めて成立する、という考えを、自然科学的な立場から著者は否定する。もっと自然発生的に存在…

戸田山和久『哲学入門』

「第1章 意味」。こっちもがっつり読んでいるわけではないのだが…。 意味とは何か、というとらえどころのない問いに対し、これを考える契機として、著者は「知性」というキーワードに着目し、被験者に機械と人間の両方とディスプレイ経由で会話させ、どちら…

戸田山和久『哲学入門』

ひとまず前書きみたいな序章みたいなところしか読んでないんだけどね。 こういう本は三木清とかヤスパースとか木田元とかの大御所哲学者が書く物なのだろうけれど(木田元が書いたのは『反哲学入門』だけどね)、実際にはそうでもないようで(ぼくは尊敬して…

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』読了

(ぼくの敬愛する)ヨウジヤマモトをはじめとするファッション/モードの哲学論考、そして「臨床哲学」の実践者でもある著者の、2013年の作品。「ひと」とは何なのかを、「何のために生きるのか」「なぜ生きるのか」といった青臭くてステレオタイプ的な切り…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇18 知性の不安」

「群像」2015年6月号掲載。近代科学とは「経験」に対する不信から「実験」という手法を確立することによって生まれたが、これは知性の絶対性を確立したというわけではなく、逆に知性に対するより深い不信を生み出してしまっている、と著者は説く。知性はいく…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇(18) 知性の不安」

「群像」6月号掲載。まだ半分しか読めてないんだけどさ。 前回は、中世までは分離していた知性の主体と経験が近世においては同一の主体に統一され、それが近代科学の成立や大航海時代のの冒険(探検)につながっていく、という話だったのだが、今回はこの過…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇15 宗教と世俗化のERP相関」

「群像」2015年2月号掲載。 近代化とは啓蒙や合理化によって社会が世俗化し宗教の機能が限定化されること、と冒頭に定義した上で、著者は西洋の近代化は、実は宗教の機能を限定してはおらず、むしろ世俗化と宗教化が同時に進行している、と指摘している。「E…

熊野さんの新書を上下巻セットで購入

「群像」11月号に掲載されていた大澤真幸/熊野純彦/鷲田清一という現代を代表する三人の批評家の鼎談がやたらめったらおもしろかったのだが、残念ながら熊野純彦の作品は読んだことがなかった、というわけでポチッてみた次第。熊野純彦といえばレヴィナス…

大澤真幸/熊野純彦/鷲田清一「批評とは何か」読了

「群像」11月号掲載。小説に書かれるシンギュラリティー(特異性)、その先にある、作者すらも気づいていなかったかもしれぬ普遍性を読み取り、顕在化までの経緯を鮮やかに描き出すこと、それこそが批評の役割なのだ、と大澤氏は説く。ぼくが惹かれる小説は…

大澤真幸/熊野純彦/鷲田清一「批評とは何か」

「群像」2014年11月号掲載。アカデミズムと現代の批評・評論シーンとの距離感、そしてなによりも、論文と評論の違いという問題が、よくわかる。ぼくが興味をもつのは、評論であり、批評だ。このベクトルで戦いつづけているのが、このテーマについて話しあっ…