わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

哲学

カイゲン、ヅケ、フカン

六時起床。 平成最後の日曜日。この「平成最後の」というカンムリ言葉にもいい加減飽きはじめているが、改元し数カ月もすれば肯定的に、そしてある種のノスタルジックな感情をもって振り返るようになるのか、それとも冷静になり、翻って、というつなぎ方が正…

天然知能

五時三十分起床。妻は仙台のショップでイベントがあるため、早朝から外出。三日間の出張となる。 連休初日。掃除やらなんやらを済ませてからは、のんびり過ごした。 夕食は豚汁をつくって食べた。大量につくったので、しばらくこれでしのぐ。 夜はランニング…

寝る

五時三十五分起床。桜が終わるのとほぼ同時ということになるのか、ハナミズキが咲きはじめると少しずつ夏の気配が濃くなっていく。部屋の中ではTシャツ1枚で過ごせる時間が増えてきた。 午前中は仕事。某案件の企画書を最後にもう一度見直し、かなり手を加え…

マグを買う

うりゃうりゃの命日。1人暮らしの頃に飼いはじめたセキセイインコで、妻と結婚したときに妻の連れ子セキセイのハチといっしょに暮らすことになった子だ。最後は痛風で大変そうだった。今とおなじくらい鳥の健康管理に関する知識があれば(当時はきちんとした…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇26 分離派の倫理と資本主義の精神

「群像」2019年1月号掲載。 ドストエフスキーの作品を、「資本主義の原理」という視点から読み解くという試み。バフチンの読解が重要になる。ロシア正教の分離派という存在については全然知らなかった… 群像 2019年 01 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 …

中沢新一「レンマ学(12) 芸術のロゴスとレンマ」

「群像」2019年1月号掲載。 旧人類も音声による言語は使用していたが、ホモサピエンスとの大きな違いは、ホモサピエンスは直接的な情報の交通だけでなく、比喩という表現が可能であるということ。この、置換して表現するという技術(って言っていいのかな)…

中沢新一「レンマ学」(10) レンマ的数論(2)

「群像」 2018年11月号掲載。昨日届いた。今日の朝刊に文芸誌4誌の広告が出てたなあ。毎月恒例。「群像」は、金子薫の新作、佐々木敦の新連載評論、高橋源一郎の平田オリザの対談、がメダマかな。 それはそうと、「レンマ学」。って、まだ半分くらいしか読め…

顔料袋

六時二十分起床。微かに降ったかと思えばいつの間にかやみ、いつ降るのか、強くなるのか、それともやむのか、と妙に気がかりになる、そんな色の空。 午前中は掃除に精を出す。 午後は妻と三鷹へ。三鷹市美術ギャラリーで「横山操展」を観る。パステルで描い…

テレビばっかし

六時二十分起床。昨夜のランニングの疲れを引きずっているが、ヘトヘトというわけではない。朝食を済ませてから、気になっていたリビングの窓を掃除する。 昼食を食べながら日テレ「スクール革命」。職業特集。 午後はイマサラだが、Amazonプライムで「シン…

並行世界

六時二十分起床。雨。じっとりと蒸し暑い。午前中は掃除に精を出し、午後は溜め込んだシャツにアイロンをあて、時々居眠りし、と家事中心のののんびりした休日。 読書は、大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇22 役に立たない辞典」(「群像」2018年9月号掲載…

真相は気管支

五時四十五分起床。曇天。マンションのファサードまでゴミ出しに行ったらにわか雨に降られた。 足の痛みはかなりなくなってきたのだが、まだ微かに、しぶとく残っている。もちろん日常生活に支障はない。だが、走れないのはストレスだ。 八時半、仕事開始。…

どうなるぼんしいく

麦次郎の命日が近づいている。一周忌か。五時四十五分起床。 妻は相模大野へ。ぼくは日曜だが仕事。某クライアントのポスター。 十一時、西荻窪駅前へ買い出しに出かける。夏休みだからだろうか、家の近所は笑えるくらい人がいなかったが、駅前はそうでもな…

藤田嗣治と湯葉コロッケとか

五時四十五分起床。寝汗。暑かったのだろか。実感はあまりない。だが身支度をしているうちにどんどん気温は上がっているようで、少しずつ、だが確実に汗の量は増えていく。 妻は相模大野の犬猫催事へ。ぼくは残って掃除、仕事。資料が足りないことに気づき、…

半裸で猫と

六時起床。今朝も酷暑の予感。ベランダの植物にあげた水が瞬時に蒸発する。 朝から仕事。昨日の案件のつづきだ。午前中いっぱいてこずりつづけたが、午後からはスピードが上がってきた。 十七時、業務終了。スーパーで特価で買ったエクレアで休憩。その後は…

アイスは滅多に口にしない

六時二十分起床。曇り空だったが少しずつ晴れ間が広がっていった。風はやや強い。木槿や立葵が小さく大きく、揺れ乱れる。 午前中は掃除だの仕事の残務処理だの。 午後、外出。都内某所でクライアントが開催する不動産セミナーを取材。その後新宿小田急百貨…

水の街

六時二十分起床。曇天。雨は降っていないようだ。じゃれつく葵を適度にかまいつつ、身支度する。 換羽中のコジコジのカゴを念入りに掃除。家の中も念入りに掃除。作業するほどに汗ばむ。湿度は高い。 西荻で買い物を済ませてから、パンで昼食。アンセンのク…

服を買う

夜中に何度も目が覚めてしまった。暑いから、というのは明白だが、加えてノドの痛みも原因のようだ。昨日は朝イチでベランダに日除けの農作業用のネット、あれはサンシェードというのか、オーニングというのか、ともかくそれを取り付けたのだが、ベランダの…

カスまみれ/的確な喩え

六時二十分起床。朝の一回目のトイレの直後に血圧を測るのが日課になっているが、今朝は上が100を切っていた。ピッチを上げて走ったり、長めに走ったりした翌朝は必ずこうなる。油断すると立ちくらみだの貧血だの起こすのだろうが、今のところ、そんなことは…

おそらくはおなじ原因

五時四十五分起床。左上奥歯の歯ぐきの腫れ、さらにひどくなっている。痛んでしまい、仕事も集中できない。こりゃやばい、と九時過ぎにかかりつけの歯科医院へ電話し、急遽診察していただくことに。 十一時頃、仕事をしていると口の中に鉄っぽいような塩っぽ…

薔薇の花の満開の向かい側

六時二十分起床。薄曇り。今日でゴールデンウィークが終わるわけだが、半分以上仕事していた。しかし「東西狂言の会」を観たのでそれなりに満喫はできている。 今日は仕事はなかったがマンション管理組合の業務を溜め込んでいたので、その作業を進めた。 近…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」 近代篇18 最初の小説

「群像」2018年5月号掲載。 文字通り、小説の起源について。読み進めるうちに、小説という文学形式がヴェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』と関わりがある、というよりも、ピューリタンの信仰のかたちと近いということに、そして資本主義の…

鷲田清一『素手のふるまい』

ひさびさに続きを読んだ。自分でもあきれるほどのスローペースだな。 アートと教育(education)の接点。予定調和を拒む創造環境から生まれる偶発的な社会システム。これがアートの現代における役割、なのか? 役割というよりは「余地」に近いような印象を受…

中沢新一「レンマ学」(2)

「群像」2018年3月号掲載。 レンマ学の根幹をなす大乗仏教の「縁起」の論理とは何か。ここで著者はナーガールジュナというインドの思想家?の言葉を遺尿している。ナーガールジュナが駆使している「両否の論理」がおもしろい。 肯定 否定 否定でもなく肯定で…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇16 剰余権力

「群像」2018年3月号掲載。 資本が資本を生み、概念が概念を生む、という近代を読み解く鍵となるこの循環構造をベースに、小説という文学形式の誕生と確立について考察している。だがダイレクトに小説論に行くのではなく、途中に、清教徒たちの「日記」の習…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇15 二つのスペキュレーション

「群像」2018年2月号掲載。資本主義における剰余価値が生まれるメカニズムの核を、大澤はヘーゲルの思弁的弁証法の中から見つけようとしている。おもしろいです。 群像 2018年 02 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2018/01/06 メディア: 雑誌 こ…

鷲田清一『素手のふるまい』

ある女性写真家の、集落との関係づくりによって成り立つ写真作品の紹介の部分(プラスα)を読んだ。 資本主義という社会システムにおける芸術のあり方、あるいは社会への芸術の関わり方。アートという概念の拡大とボーダーレス化(価値のダウンサイジング、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇13 〈増殖する知〉のふしぎ

「群像」2017年12月号掲載。 近代科学の根本的な特徴は「知の蓄積性」にあるが、そこには、人間はどんなに科学的に知を積み上げていってもそれらはすべて仮説に過ぎず、この世界の真実すべてを把握し理解することはできない、だから知は終わることなく求め続…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇12 予定説がとり残したもの」

「群像」2017年11月号掲載。 キリスト教の「最後の審判」と資本主義における資本の再投下の共通性。最後の審判の無限ループ化がよく理解できず、思考停止状態…。著者がいっていることを別の言い方にすると、終わりと始まりの共存、否定と肯定の共存というこ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代編10 終わりなき終わり

「群像」2017年9月号掲載。資本主義以前の社会形態(貨幣、あるいは交換価値そのものが存在しない時代)と、資本主義との本質的な違いを、「労働」のあり方に求めている。より具体的にいえば、その労働は誰のためのものか、という問題。非資本主義(前資本主…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇9 召命と階級」

「群像」2017年8月号掲載。ルター訳新約聖書で「召された」という表現がドイツ語ではBerufにあてられていることにヴェーバーが着目している点を出発点に、資本主義の根本である「階級」の概念の本質に迫っている。ヨーロッパの歴史のなかで一度は廃止された…