わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

思想

カスまみれ/的確な喩え

六時二十分起床。朝の一回目のトイレの直後に血圧を測るのが日課になっているが、今朝は上が100を切っていた。ピッチを上げて走ったり、長めに走ったりした翌朝は必ずこうなる。油断すると立ちくらみだの貧血だの起こすのだろうが、今のところ、そんなことは…

おそらくはおなじ原因

五時四十五分起床。左上奥歯の歯ぐきの腫れ、さらにひどくなっている。痛んでしまい、仕事も集中できない。こりゃやばい、と九時過ぎにかかりつけの歯科医院へ電話し、急遽診察していただくことに。 十一時頃、仕事をしていると口の中に鉄っぽいような塩っぽ…

引きずらない

五時四十五分起床。晴れ。夏日になるというが、朝の日差しはこの季節相応の心地よさ。 午前中は事務処理など。 午後は後楽園で打ち合わせ三発。上着を着たままでは暑いが、夏の暑さとは明らかに違う。湿度だろうか。風は強い。 大量の資料を整理していたら、…

薔薇の花の満開の向かい側

六時二十分起床。薄曇り。今日でゴールデンウィークが終わるわけだが、半分以上仕事していた。しかし「東西狂言の会」を観たのでそれなりに満喫はできている。 今日は仕事はなかったがマンション管理組合の業務を溜め込んでいたので、その作業を進めた。 近…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」 近代篇18 最初の小説

「群像」2018年5月号掲載。 文字通り、小説の起源について。読み進めるうちに、小説という文学形式がヴェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』と関わりがある、というよりも、ピューリタンの信仰のかたちと近いということに、そして資本主義の…

中沢新一「レンマ学」(4)

「群像」2018年5月号掲載。 『華厳経』を、そしてここで説かれた「一即多、多即一」をつくり出す根本原理である「相即相入」の概念などを知的に分析する『華厳五教章』が紹介されている。縁起の理法によって動き変化する法界の特徴。そしてさらに法界につい…

鷲田清一『素手のふるまい』

ひさびさに続きを読んだ。自分でもあきれるほどのスローペースだな。 アートと教育(education)の接点。予定調和を拒む創造環境から生まれる偶発的な社会システム。これがアートの現代における役割、なのか? 役割というよりは「余地」に近いような印象を受…

中沢新一「レンマ学」(2)

「群像」2018年3月号掲載。 レンマ学の根幹をなす大乗仏教の「縁起」の論理とは何か。ここで著者はナーガールジュナというインドの思想家?の言葉を遺尿している。ナーガールジュナが駆使している「両否の論理」がおもしろい。 肯定 否定 否定でもなく肯定で…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇16 剰余権力

「群像」2018年3月号掲載。 資本が資本を生み、概念が概念を生む、という近代を読み解く鍵となるこの循環構造をベースに、小説という文学形式の誕生と確立について考察している。だがダイレクトに小説論に行くのではなく、途中に、清教徒たちの「日記」の習…

鷲田清一『素手のふるまい』

芸術の、ボランティアやワークショップというかたちでの社会との関わり方。社会的には異形の存在と見なされる可能性もあるアーティストたちの、社会への積極的な働きかけ。関わることから生まれる新しい価値。芸術家は孤独な存在、という既成概念はすでに崩…

中沢新一「レンマ学」(1)

「群像」2018年2月号掲載の、連載第1回。まだ数ページしか読んでいないのだが…西洋のロゴス中心主義的なリニア認識、リニア思考に対する、大乗仏教にルーツがあるらしい、ノンリニアで全体把握的、直感的な世界認識と思考に関する学問として(って理解でい…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇15 二つのスペキュレーション

「群像」2018年2月号掲載。資本主義における剰余価値が生まれるメカニズムの核を、大澤はヘーゲルの思弁的弁証法の中から見つけようとしている。おもしろいです。 群像 2018年 02 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2018/01/06 メディア: 雑誌 こ…

鷲田清一『素手のふるまい』

「4 アートレス? 川俣正の仕事を参照軸に」。川俣正の公共事業のような地域全体を巻き込んだ巨大アート作品から、アートと社会性の問題について考察している。個人的な関心や想い、そして作為が、個人の創作行為として成立する過程において、社会が深く関わ…

鷲田清一『素手のふるまい』

ある女性写真家の、集落との関係づくりによって成り立つ写真作品の紹介の部分(プラスα)を読んだ。 資本主義という社会システムにおける芸術のあり方、あるいは社会への芸術の関わり方。アートという概念の拡大とボーダーレス化(価値のダウンサイジング、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇14 銀行というなぞ

「群像」2018年1月号掲載。今月から表紙のデザインテイストが変わった。抽象的な写真作品。去年の2Dのフラットデザイン的グラフィックもよかったが、こちらはもっと好きだ。 まだ半分も読めていないのだが…資本主義にとって不可欠な制度である「銀行」の存在…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇13 〈増殖する知〉のふしぎ

「群像」2017年12月号掲載。 近代科学の根本的な特徴は「知の蓄積性」にあるが、そこには、人間はどんなに科学的に知を積み上げていってもそれらはすべて仮説に過ぎず、この世界の真実すべてを把握し理解することはできない、だから知は終わることなく求め続…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇12 予定説がとり残したもの」

「群像」2017年11月号掲載。 キリスト教の「最後の審判」と資本主義における資本の再投下の共通性。最後の審判の無限ループ化がよく理解できず、思考停止状態…。著者がいっていることを別の言い方にすると、終わりと始まりの共存、否定と肯定の共存というこ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代編10 終わりなき終わり

「群像」2017年9月号掲載。資本主義以前の社会形態(貨幣、あるいは交換価値そのものが存在しない時代)と、資本主義との本質的な違いを、「労働」のあり方に求めている。より具体的にいえば、その労働は誰のためのものか、という問題。非資本主義(前資本主…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇9 召命と階級」

「群像」2017年8月号掲載。ルター訳新約聖書で「召された」という表現がドイツ語ではBerufにあてられていることにヴェーバーが着目している点を出発点に、資本主義の根本である「階級」の概念の本質に迫っている。ヨーロッパの歴史のなかで一度は廃止された…

三浦雅士「言語の政治学」(最終回)

「群像」2017年8月号掲載。バレエと言語の関係。というより、自己認識の関係と言ったほうがいいのかも。言語と視点が自己認識の基本となるからね。バレエは全然詳しくないけれどモダンバレエには興味があって(ピナ・バウシュくらいしか知らないけど)、ピナ…

三浦雅士「言語の政治学」(最終回)

「群像」2017年8月号掲載。最終回はいつもより長いのか、それともぼくがダラダラ読んでいるからなのか、なかなか読み終わらない。バレエ(肉体)、映画(視覚・聴覚)と、さまざまな切り口から言語の政治性と孤独さを掘り下げているのだが、最後に無理やり詰…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇8 商品の救済/人間の救済

「群像」2017年7月号掲載。 商品が交換によって貨幣となり、貨幣が交換によって別の商品となる、という資本主義の基本的な価値交換のシステムと、宗教との関連性。 無限の富の追求が根底にある資本主義がキリスト教のような一神教のもとで発達したことの複雑…

三浦雅士「言語の政治学」(12)

「群像」2017年7月号掲載。 人間だけが対面で性行為ができること、対面で子どもに乳を与えることができること、といった「対面」が、自分ではなく相手の視点を脳内に図式化して構築できる(イメージできる)能力を生み出し、これが視覚としての言語の発達・…

三浦雅士「言語の政治学(11) 詐欺と宗教と貨幣」

「群像」2017年6月号掲載。5月7日が発売日なのだが、GWなので2日に届いてしまった。というわけで、ちょいちょい読み進めている。 司馬遼太郎の、興味は高く造詣も深いが決してそこにおぼれず一定の距離を保ち俯瞰して見つづけるという独自の宗教観のエピソー…

鷲田清一『素手のふるまい アートが探る〈未知の社会性〉』

「2 巻き込み 小森はるか/瀬尾夏美の模索」。 芸術家を名乗り切れず、美術マーケットで販売できる作品をつくらない「(自称)アーティスト」について言及している。著者は、これを出来事の作品化と理解し、さらにこのコト的・体験的作品の「液状化」を指摘…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇7 〈金貨/紙幣〉としての貨幣」

「群像」2017年5月号掲載。 貨幣の発生と流通の過程を考えることは、この世界を形づくる、あるいは動かしている価値や基本原理を考えることにつながる。お金にならない価値がある、みたいな話も当然あるわけだが、その価値の伝播・拡散や自分自身が得る満足…

三浦雅士「言語の政治学」(10)死の視線

「群像」2017年5月号掲載。半分くらい読んで、忙しくなったのでしばらく放置しちゃったんだよね。 司馬の「街道をゆく」に収録されている「そば」というエッセイと、小林秀雄の「無常といふ事」の共通点と差異を見出した著者は、「俯瞰する」という視点の有…

三浦雅士「言語の政治学」(10)死の視線

「群像」2017年5月号掲載。司馬遼太郎「街道をゆく」に見受けられる「俯瞰」の視点と止観との関連性、そして吉田健一や小林秀雄との共通性。小説と評論の混在したような独特の世界観。シバリョウのカメラの焦点を自在に変えるような文体とユーモア感覚につい…

三浦雅士「言語の政治学」(9)視覚の零度

「群像」2017年4月号掲載。 仏教の本覚思想や進化論、さらにはヘルマン・ヘッセとトーマス・マンの作品の決定的な違いなど、さまざまなソースを引っ張り出しながら、原言語としての視覚について深く論じているのだけれど、いろんなものに言及しすぎていて、…

三浦雅士「言語の政治学」(9) 視覚の零度

「群像」2017年4月号掲載。 仏教の本覚思想と文学の関連性、そしてブレイク、ヘルダーリン、ヘッセといった自然と同一するような描写の多く見られる詩人たちの作品と傾向から、著者は言語の身体性、視覚性、そして見るという行為に潜む対象との自己同一化の…